昭和50年02月26日 朝の御理解



 御理解 第2節
 「先の世まで持って行かれ、子孫までも残るものは神徳じゃ、神徳は信心すれば誰でも受ける事が出来る、みてると言う事がない。」
 
 私は今朝方本当にもったいないお夢を頂いた、と言うのはこう言うお夢なんです。私が御本部へ参拝さして貰っておる。そして金光様の御宅に御挨拶に出ておるところであった。しばらくあちらでお茶を招ばれたりして帰りかけましたら、今の教主様がお広前からお退けになって帰って見えた。そしていろいろと話して下さって、あの大坪さん実は今日は母を初め金光家一同で、まっ一寸した旅行を思い立っておる、それであなたもお出られないかとこう言われる。
 もう勿体ない物だから恐縮してから、私共がと言うて恐縮しとったら、そげな事言わずにとお付き合いなさいとこう言われる。付き合えと言われる。心の中には素晴らしい有難い事になったと思っておる所で御座いましたから、それではと言うてからそのご一緒にお供する事になりました。所がそのうお金を一銭も持たないのです、折角皆さんと同道させて頂くのに、と思うて何処かお金を借りる所は無いだろうかとそれから、まぁ皆さんと金光家御一門の方達と駅まで参りました。
 そしたら金光駅の駅員の方達がこう、いくらも居られる中に、久留米の佐田さんが居られるんです。あヽそれは良かった佐田さんからお金を貸して貰おうと思うて、そこへ行ってから、佐田さんにこんな訳で皆さんと御一緒に旅行する事になってから、あんたお金持っとるなら持っとるだけ一寸借して呉れと言うて、そしたらそのう財布を出されたんです、出されたけれども、そのうこう膨れとるけどお金じゃないらしい、入っておる何かが、入っておるがお金じゃないらしい。
 それでそのそん時私は時間があれだから、もうその財布のままあのー貸して下さい、入っとるしこ私一寸借して下さいと言うたら、それがお金が入っとらんがと言うてから、風呂敷包みか何か開けて出されたのが、お抹茶茶碗でしたでお抹茶茶碗が幾つもあるからそんなら、それを一つ借りて行こうと言うて、その中の良いのを一つ借りれる。それで先で金光様がお茶を上がれるかも解らんから、その茶碗を借りてから又あちらでお茶でもなさる様な時には、この茶碗を使わして頂こうな事を考えているのです。
 そしてそこに暫く待っとりましたら、汽車が参りました。もうそれで汽車にはもう大変混んで乗りが多う御座いましたが、金光家の方が全部乗ってしまわれてから、最後に乗らせて頂く時に、金光様がですねあのうこうやって押し込んで下さった汽車の中へ、それであのう今の御本部の、金光様の弟様である、あのう金光真整先生と、それから今の金光様の御長男であります。
 平輝先生とが若いから最後に私と三人が、その三人を私が一番最後に乗ったから、金光様がそれをポーンと押してから、中に押し込む様にしてあのう汽車に乗せて頂いた。金光様はお出るとじゃないばいな、はぁそりゃそうじゃろう、まだ御用があるからと言うて、金光様はあのう送って来て下さっておる所だった駅まで。そして私共ば汽車の中に押し込んどいて、大坪さんあのうお金の事やら心配せんで良いですよと。
 もうお金とは仰らんけれども、そんな事何んにも私に付いてお出てられりゃ良いですよと言うて、その、言うて下さいました。そしたらその汽車の中に押し込まれて、こう押し込まれとるんですから、もう兎に角もう体と体がもうこうひっ付合う訳ですよね。一杯乗ってるんですから、それであのう先代の奥様である金光キクヨ姫も、が大体御中心の様です、まもう先にあのう乗って席のある所に全部乗っておられる。
 そしてあのう真整先生と平輝先生とが、汽車の中ですもう体と体が押し合いへし合いしながら、そのう所謂私はそれだけでも勿体ないな、勿体無いなとこう思うとる所に、色々とあのう金光り様がね、私共の様な親戚の上にも本当にこう言う心を何時も使うて頂いて、本当に勿体ない事ですと言うてその、色々話して下さるその話を頂いて、それからその目的の地に着いた訳です。
 所がそこはまあ大変素晴らしい景色の良い所で、丁度春の三月、所謂花の頃と言う情景ですし、丁度着いた所は何か神社仏閣と言う感じです、丁度あのう娘導常寺なんかをを踊ります時にバックが、桜の花のバックがありますね、一杯と言う様に桜がもう満開と言う所素晴らしい建物もお寺さんかお宮さんか解らんけれども、建物がある。そこに大きな手洗い、自然石の手洗鉢がありますから私が手洗いの、金光家の方達が手洗いに見えますから、一人一人にこう手にお水を掛けて上げている。
 したら皆さんこう手を洗うて、まあ余んまり見事な景色にこう見蕩れてさせて頂きながら、上の方はこう何処まで続いとるか解らん様な、大きな立派な石段がずうっと上のまである、ほう是を登って行ったら、もっと素晴らしいところがあるばいなと言う所で目が覚めました。もう勿体なくて起き上がってから、お礼を申さして頂いたんですけれども、大体是はどう言う様な事であろうかと、私は思わして貰いました。別にどうとこう意味がありそうちゃないです。
 そしてあのう今日教典を開かして頂きましたら、御理解二節で御座いました。昨日もこの御理解二節で御座いましたね。私は信心と言うのはね、あの徹する事だと思うです。信心すれば誰でもおかげが受けられると、ただときどき参りよりますとか自分の都合でお参りしよりますと言うのではなくてです、信心とは私は教えに徹することだと思うです。そう言う信心に限りない私はお徳がそれこそ、みてることがないおかげが頂けるのだと言う事で御座います。
 そして私は思いましたのに、金光家の奥深くまで入らせて頂いて、お茶まで招ばれる様な言うなら、私と金光家とはそう言うあいだがらでも何んでもないのですけれども、と言う事は、私は天地の親神様のお心深く入って行ったと、言う意味だと言う風にかいしました。ね。神様の心が解ったと言う、なら解ったならばその神様の心に添い奉る事に、精進しなければならない。
 おかげは受け徳受け勝ちと仰るがね、本当におかげは受け徳受け勝ちである。金光様がね勿体ない事ですけれども、こうして金光家一門で旅行を思い立っとるから、大坪さんあなたも参加しなさい、いいえと言うて御遠慮申し上げておったら、そげな事を言わずにお付き合いなさいと言われる。そうまで言われりゃ畏多い事ですけど、お供さして頂きましようと言う、所がこちらに懐中がないお金がない。
 そこでまあ佐田さんにたまたま其処で会ってお金を借ろうと思うたけれども、佐田さんもお金は持ってなかった模様である。只茶碗を借りただけであった。そして言うならば、汽車に乗らせて頂いて目的地に着かせて頂いた。その場面が今申します様な、それこそ春の三月花の頃と言う様な中に、素晴らしいま神社仏閣、どちらか解らんけれども、まぁあのう素晴らしい言うならば、所へお供させて頂いとると言う事である。
 しかもあのう石段をこう見上げると何処迄続いとるか解らん様にあるのは、信心と言うのはもう限りない事だと言う事も同時にです。現在合楽でおかげ受けておるのは、丁度春の三月花の頃に、桜の花が満開になっておる所で、沢山な人になら私が心を清める事ね、手洗いのお水を皆に手にこうやって、かけて上げておると言う事は、と言う様なおかげを受けて居る今日の姿ではなかろうかと、思わせて頂くと言う様に華やかなおかげを受けて居る。その華やかなおかげを誰でも願っておるのです。
 実を言うたら信心しよるけれども、おかげなんかはどうでもええと言う者はおらんと思う、本当言うたら頂きたいのですけれども頂かれておらんのが実情であると。もうそれこそ暑くもなからねば寒くもない、春の三月花の頃の様なおかげを頂いておると言うのが、ま合楽教会の実情ではなかろうかと思うのです。そう言うおかげはなら何処から頂けたかと言うとです、私はまぁ或る意味に於いて徹したからだと思います教えに。
 例えて言うならば、私共の一番難儀の時代、引き上げて帰ってすぐからね、親先生のお供をして、御本部参拝さして頂いとる。是はもう毎月の事であった。とてもその時分に毎月御本部参拝が出来るなんて、その出来る筈がない様な状態の中にありながらです、親先生が大坪さん、お参りしないかと言われたら、はいと言うてお参りさせて頂く事に成らせて頂いて腹を決めたらね、もう必ずどんな事があっても旅費だけはおかげを受けたと言う事である。弟の戦死の公報を公報では無かったけれども。
 内報が来た月から始めとりますから。本当に弟が無事凱旋を願わせて頂きながら、毎月の新聞紙上に出る引き上げ船のそれをあのう見るのが楽しみの様にして、一家中が待ち暮れておる所へ来たのは、所謂弟戦死の報であった。然も八月十五日が終戦日であるのですが、その十五日前の七月三十日に亡くなっておると言う事であるね。七年間も兵隊に行っておって、それまではそれこそ難儀困憊した事であろうがです、もう十五日間生き延びのおかげを頂いとれば、無事凱旋が出来たのに神様の御神意が解り兼ねた。
 どうした事だろうかと思うた。母なんかは御神前に出てから、お社にしがみ付いてから、お社をこうやってごうぐりました。それでも矢張り信心はそのまま続けさせて頂いてどうしても、どうしてと言う気持ちであった。まあ十五日間お生かしのおかげを頂いておればです、無事に凱旋が出来たのに、それこそ真っ暗な心なりにも、矢張り一心に求める続けたのは、御神意が解りたいと言う事であった。
 どう言う事でこう言う事になったのかと言う事であった。たまたまそう言う時に、親先生が月参りなさるのに、その月参りを勧められて、それでは御一緒におかげ頂きましょうと言う事であった。あの時分はもう駅々で、降りたり待ったりしておられる引き上げの兵隊さん方で、どの駅も一杯であった。内報は受けておるんだけれども、ひよっとしてあの中に、弟の姿がありはせんかと、こう本当に探し求める様な感じでした。何処へ行っても、その引き上げの兵隊さんで一杯でした。
 金光駅に付きましたら、金光駅でもやっぱり同んなじで、あそこで降りられる兵隊さんが一杯でした。そして今日の御本部参拝によってです、本気でいまだかって神様からお知らせなど頂いた事はないけれども、どう言う訳に言うならばです、是程しの信心をさして頂いておるにも係らず、どうしてこう言う事にしかも八月十五日が終戦日であると言うのに、その十五日前の七月三十日の日に、神様が引き取りなさらなければならない訳が解らん。どうぞその訳をスッキリするまでに教えて頂きたい。
 解りたいと言うのが、私の御本部参拝の言わば、目的であった。親先生は控えでもうお寝みになりました。それで私は一人奥城に出てからもう一晩中御祈念を致しました。訳が解りたいどう言う事か、けれどもまぁ不徳の当時の私に神様のお知らせを頂けるはずもない。それから明くる日になりましたから一緒にお供をして帰って来る、親先生の鞄を持って親先生の後ろに従って、あの控所からこう降りて来るあそこに石座があります、ね、あその所に溝がある。
 溝の横を通る時でした、前の方に行っておられる親先生が、今度の御本部参拝で何かお土産が出来たかと言われた、その時にです私はハイ出来ましたと。どうしてか知らんけど言うたんです、言ったとたんですもう兎に角、何かわからんけれどもドスーンとする様なものを身に受けた様な感んじがしました。そしてそれから有難いの有難いの、もうとにかく泣く泣く駅まで参りました。有難うして丁度京都行きの鈍行があそこに着いとりましたが、その中からやっぱり沢山なあのう。
 物を担いで兵隊さん方がぞろぞろ降りてきました。行きかけにあの中にひょっとして弟が混じってだん居らんだろうかと思うて、思うような在り方考え方の中からです、もうそう言う事はさらさら感じなかった。そして敗戦日本に引き揚げて来る兵隊さん達に、本当にご苦労さんでしたご苦労さんでしたと、一人一人にお礼を言うて回りたい様な気が起こって来た。汽車に乗らせて頂いたら。それこそ私は今朝お夢を頂いた汽車の中の様に、それこそ、もう窓からでも乗らにゃならんと言う時代でありました。
 それでもおかげで私と親先生と頂けれる席があった。次から次から乗って来られる。お年寄りの方が前に立たれましたから、私はすぐ替わって上げた、もうその事が有難うして堪えん。車窓から見える丁度稲田が、この位ばっかり伸びとる時分でした。車窓から見るその水田、稲田を見せて頂いてもう感動が、もう可笑しいごと涙がこぼれた。もう弟の戦死と言うのが、どうしてと言った様なものが、兎に角消えて無くなってしまった訳なんです。只有難うして有難うしてだけだったんです。
 そしてははぁ御神徳とはこんなもんだなあと私は思うたです。ね。皆さんが例えば信心をされて、どうしてと解らない所があるならば、本当にそれに通しに徹して見なければいけないです。以来私は御本部のお月参りを、もう欠かした事は御座いませんでした。それはもう大変な中でしたけど、言うならば一番条件としては、出来ない時代に御本部参拝を続けさせて貰いました。ね。言うならば神様のお心深く私は入って行った。今日私お夢を頂いたのはそう言う事であったと思うのです。
 言うならば金光様からも顔見知りになった。金光様からもお目をかけて頂ける程しの、金光様からもお茶を頂ける程しの、金光家一門で旅行すると言やぁ大坪さんあなたもお付き合いなさいと言われるくらいに、神様の心に深く入って行った。それがですなら、春の三月花の頃の情景の中にです、金光家の御一門の方達と御一緒におかげを頂き、しかも金光あの真整先生又は平輝先生当たりとですそれこそ、もう体を引っ付け合わねばおられない訳なんですね。
 満員の中ですからそれをしかも一番最後に乗った私をこうやって押し込んで下さった。そう言うそれこそ金光様言うなら神様との交流を重ながら、今日までのおかげを頂いて来ておる内にです、本当に今日合楽でそれこそ華やかな私ゃあぁおかげの状態をです、此処の大祭などの時に思い感じます。ならそれはどこにあったかと言うと、私はその事に信心に徹したからです。信心とは私は徹すると言う事と思うです。そういう信心をすれば誰でも受ける事が出来るのが、御神徳でありますしかも満てると言う事がない。
 私がその夢の中に行って眺めておる。所謂高い高い石段と言うのは、もうみてる事がない。限りがない石段をまた登って行く事であろう。そして限りなく信心を求め続ける事であろう。勿論おかげはそれに寄り添う様に、影の形の様により素晴らしいおかげが、伴うて来るであろう。そう言うなら元なら金光様から声をかけられる程し所迄です、私共は徹しなければいけないと言う事であります。今日私は御理解二節を只頂いたお夢の中から聞いて頂きました。
   どうぞ。